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玉縄城跡
玉縄城跡イメージ 鎌倉市大船駅の西北方に玉縄城跡があります。戦国時代の典型的な山城で、東に柏尾川(この付近では戸部川)が流れる複雑な谷に囲まれた、標高は最高80m、平均50mの低丘陵地帯に築かれました。

玉縄城は、永世9年(1512)伊勢新九郎長氏(北条早雲)が相模の三浦道寸攻略の為に小田原城の支城として造ったもので、初代城主北条氏時より4代目氏勝が徳川家康に降伏する迄、前後5回に及ぶ戦歴でも一度も落城せず、「此城当国無双の名城なり」(『異本小田原記』)とあるほどの強固な城でした。永禄年間には有名な上杉謙信、武田信玄の攻略をも退けています。

この名城も豊臣秀吉軍の進攻に対し、四代目城主氏勝は籠城して抵抗しましたが、天正18年(1590)徳川家康に降りました。元和5年(1619)廃城となった後、寛政4年(1792)松平定信により城の再興も建議されましたが、実現されませんでした。

玉縄城の構造は、近世の城とは違い石垣や天守閣はなく、最も中世的な城です。城山の中心のほぼ方形の畑地の周りに高い土塁をめぐらした本丸跡、その周囲には複雑な深い空堀をめぐらしていて、「くいちがい」「お花畑」等多数の曲輪や遺構がありましたが、現在の本丸跡付近には民家が建ち並び、城の面影は大半が失われてしまいました。

城域には「ふわん坂」「清水小路」「七曲坂」等の地名が存在し、その多くは今日迄残っています。

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