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稲村ヶ崎
稲村ヶ崎イメージ 稲村ヶ崎。七里ヶ浜の東に位置する夕日の美しい景勝地として、また歴史的には鎌倉幕府滅亡の折、新田義貞が進軍した場所として有名です。

元弘3年(1333)5月、後醍醐天皇の倒幕の志を奉り、義貞は軍を三手に分け攻め入ろうとしましたが、鎌倉への3本の切通しの防備は厳重で突破できません。その上南側に残された稲村ヶ崎を浜伝いに行く道にも逆茂木が巡らされ、海上には兵船が待ち構えていました。

折しも満月の夜、大軍を率いた義貞は自らの黄金の太刀を海中に投げ入れ、祈ります。「仰ぎ願はくは内海外海の竜神八部、臣が忠義を鑑みて、潮を万里の外に退け道を三軍の陣に開かしめ給へ」この願いを竜神が聞き入れたのでしょうか、岬には急に広々とした砂浜が横たわり、敵の船も引潮と共に遙か遠くを漂っています。『太平記』に記すこの故事に多少の脚色は否めません。実際は引潮の時刻が来て浅くなった海岸を武器を持って渡ったのでしょうが海を知らず、ましてや潮の干満など知る由もなかった北関東の武士にとって、一心に祈る主人の姿はさぞ神々しかったことでしょう。

これにより鎌倉中心部に一気に攻め入った義貞は、進軍後僅か4日で勝利を収めたといいます。荒れ模様の一日の終わりに稲村ヶ崎に立つ。風に乗った雲の切れ間から静寂を背に染み出す紅の光。一歩も引けない、引く気もない、限りない決意を表すかのように夜が満ちるまでその紅が海を照らす。ここの夕日が美しいのは、義貞の黄金の太刀が今も海中で光っているからだと伝えられています。

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