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勝長寿院旧蹟 (しょうちょうじゅいんきゅうせき)
勝長寿院旧蹟イメージ 鶴岡八幡宮より東へ進むと、岐れ道という三叉路があります。ここから朝比奈方面へ少し進んだ「御堂橋」という信号を右に曲がると、滑川にかかる大御堂橋があります。この橋を渡り、さらに南へ進んだ谷戸の奥に勝長寿院旧蹟の碑がひっそりと建っています。

勝長寿院は、南御堂とも呼ばれ、頼朝公が鎌倉に建立した三大寺(鶴岡八幡宮寺、永福寺、勝長寿院)の1つでありました。今でこそ住宅地の一角にその跡を示す碑と礎石がわずかに残るにすぎませんが、当時はこの谷戸一帯を寺域とする、大きな寺院でした。いまもこの辺りが「大御堂ヶ谷」と呼ばれるのは、これ故です。

勝長寿院は、平治の乱(1159)で敗死した父義朝の菩提を弔うため建てられました。吾妻鏡によりますと、元暦元年(1184)11月26日に地曳をし、文治元年(1185)4月11日に柱立を、同年10月24日には完成し、開眼供養を盛大に行ったとあります。一方、文治元年8月30日に亡父義朝の遺骨を受け取った頼朝公は、9月3日に勝長寿院の境内にこれを葬ったとの記述もあります。

この後も源氏の菩提所として、この地には実朝公・政子も葬られたと伝えられています(現在、2人の墓は扇ケ谷の寿福寺にありますが、こちらは供養塔でしょうか)。勝長寿院の建立にあたり、頼朝公は中央より仏師や絵描きを招いています。伝統的文化のない鎌倉に中央の文化を取り入れようとした頼朝公の、初期の段階でありました。

勝長寿院がいつ廃絶されたのかは定かではありません。永福寺と同様、後々の美術や文化に影響を与えた建造物が失われてしまったことは惜しまれることであります。

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