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二十五坊跡周辺
二十五坊跡周辺イメージ 鶴岡八幡宮は鎌倉市雪ノ下というところに鎮座しています。御本殿うしろ側一帯には鎌倉時代以来、雪屋(氷室)が置かれ、遠くは富士山の氷も運ばれ、夏場の為に貯えられていました。その雪屋から下る道を雪屋の下の道という意味から、雪ノ下道といい、響きの良さから、後に八幡宮境内のある一帯を雪ノ下と呼ぶ様になったといわれています。

また、その地域一帯には、二十五坊跡と呼ばれる国の史跡が残っています。二十五坊とは、鶴岡八幡宮の社役を務める供僧達の僧坊の事で、治承4年(1180)に源頼朝公は定兼を上総国から召して最初の鶴岡供僧職に任命しました。供僧は神社に仕える僧のことであり、二十五坊が成立したのは建久8年(1197)頃と考えられています。
しかし、室町時代頃から廃絶するものも多く、末には七坊に減じ、徳川家康が十二坊に復して明治を迎えました。そして供僧らは総神主と称して祠官となりましたが、その後離散し、坊もすべて廃絶しました。二十五坊跡の一部に御谷と呼ばれる谷があり、最も多くの坊がありました。昭和41年より、その谷の一部の発掘調査が行われ、その地下には供僧坊の跡が良好に埋蔵されていることが判明しました。『鶴岡八幡宮寺供僧次第』をはじめとする、文献上の記事と遺構が完全に一致している事が確認されたのです。

このような貴重な成果をおさめた事により、鎌倉の歴史や文化を知る上で、更にかつての祭祀形態をみるものとして重要な遺跡であるとして、昭和42年に国の史跡に指定されると共に「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」いわゆる「古都保存法」が制定されることとなるのです。

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