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源頼朝公の墓
源頼朝公の墓イメージ 鶴岡八幡宮の東方、大倉幕府跡の北隅、大倉山の中腹に頼朝公の墓が祀られています。頼朝公は、正治元年の正月13日に薨去され、ここに葬られましたが一説には落馬による怪我が原因とも、病によるものともいわれ定かではありません。

ところで武士の棟梁として征夷大将軍に任ぜられ幕府を開いた人物の墓所といえば、広大なものが想像されます。ところがその苔むす墓所は質実剛健を旨とする鎌倉武士に相応しく質素な層塔なのです。

しかし古来鎌倉は谷戸が多く、その地勢を生かした“やぐら”(横穴式の墳墓)の墓所がほとんどであるのに対し、頼朝公の墓がやぐらではなく層塔の様式で祀られていることは、当初より有力御家人とも一線を画した特別な方として扱われていたことがわかりましょう。

今も尚墓所を訪れる人は後を絶たず花が多く供えられ、特に桜の花咲く春、4月13日には鎌倉市の観光協会を中心として「墓前祭」が盛大裡に執り行われ、多くの人々が参列されます。今日でも頼朝公を敬仰する人々が数多いことを、如実に物語っていると言えましょう。

頼朝公の墓よりやや東寄の谷戸には、鎌倉幕府の基礎固めに参与し、頼朝公の信任も厚かった大江廣元の墓所があります。このお二人方が今も肩を並べ鎌倉幕府の草創より我々を見守っていらっしゃいます。

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