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大慈寺跡
大慈寺跡イメージ 鶴岡八幡宮前を東へ金沢街道を進むと、泉水橋に辿り着きます。浄妙寺と十二所の境となります。ここより200m程先の左側に、滑川にかかった二ッ橋があります。この橋を渡ると明王院の参道となります。

この明王院の東方一帯が大慈寺の旧蹟と云われております。大慈寺は、源頼朝公の大御堂(勝長寿院)に対して、新御堂と称し、実朝公が君恩父徳を報ずる為に大倉郷の勝地を卜して建立されました。

建暦2年(1212年)4月18日には立柱、上棟式が行れ、2年後の建保2年(1214年)7月27日には、終日甚雨の中で、政子,実朝公ともに臨席して供養(落慶式)が行われました。以後幕府は折に触れて、ここに諸堂を建てました。

北条時房は政子の追善に三重の宝塔を、義時の三年忌に泰時は釈迦堂(丈六堂)を、時氏の三年忌に時頼は阿弥陀堂、竹の御所(頼家の娘)は亡父頼家追善の為に御堂を、頼経は政子の十三年忌に新丈六堂を建てました。

建立以来45年を経て、正嘉元年(1257年)4月14日には、大慈寺が破損したので大修理が行われ、本堂、丈六堂、新阿弥陀堂、三重塔、鐘楼等悉く修理が加えられ、その荘厳の美は旧をしのぐほどであったと云われております。
同年10月1日には大供養が執り行われ、その盛儀の様を吾妻鏡は詳細に述べています。時移り江戸時代には僅かに丈六堂があり、その仏頭は今は光触寺に安置されています。

かつての宏荘な大伽藍も今ではその影もなく、世の転変を思うと感無量です。

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