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滑川(なめりがわ)
滑川(なめりがわ)イメージ 八幡宮の東方朝比奈峠に水源を発し、由比ヶ浜に注ぐ全長6.3kmの河が滑川です。上流では胡桃川といい、滑川とよばれるのは浄妙寺の前からで、文覚上人邸跡あたりでは座禅川、その下の小町の辺では夷堂川、延命寺のあたりでは炭売川、河口付近では閻魔川とよばれ、流れに沿って、それぞれの地域(十二所・浄明寺・二階堂・小町・大町・材木座)で名称を変えています。

凝灰砂岩の河底を滑るように流れることからこの名がついたとされています。胡桃川は浄妙寺の東の谷となる胡桃ケ谷から名付けられ、上流には朝比奈峠からの流水を集め、沢となって流れる鎌倉五名水の1つで、梶原景時が頼朝公の命で、上総介広常を討ち、太刀をこの水で洗ったとされる「太刀洗の水」があります。座禅川は文覚上人がこの居で座禅をしたことから名付けられたとされております。また、この付近には頼朝公が父・義朝の霊を弔う為に建立した勝長寿院跡があり、廃寺となった今では大御堂橋にその名を残すのみとなりました。夷堂橋は、鎌倉十橋の1つで本覚寺門前にあり、頼朝公はこの場所を幕府の裏鬼門に当たるとして、その守り神として夷堂を建立したとされております。

現在の本覚寺夷堂は昭和56年に再建されたものです。炭売川は延命寺の西傍を流れますが、この地域は中世鎌倉の商業区域で、米町、穀町といった町屋があり、鎌倉七座の1つ炭座があったことからこの名称が付されたといわれております。

閻魔川はこの地に閻魔堂があったことから名付けられたもので、鶴岡の由比ヶ浜大鳥居東南の新居の地とあり、新居閻魔堂といわれていましたが、元禄16年(1703)の地震と津波で倒壊し、翌宝永元年に現在の山ノ内巨福呂坂上に円応寺新居閻魔堂として再建されています。このように鎌倉の歴史と共に流れ続けてきた滑川は、今も脈々と清水をはこび続けています。

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