周辺情報
永福寺
永福寺跡イメージ 鎌倉宮正面参道を右に折れ、瑞泉寺方面へと向かいます。しばらく歩くと通玄橋へ辿り着きます。橋の手前を左に折れ滑川の支流、二階堂川の流れに沿って行きます。

やがて眼前には“幻の大寺”と称されてきた国指定史跡永福寺跡が広がります。現在東西約100m・南北200m以上の平坦地と三方を囲む山・谷間を含めた地域が永福寺の寺域と考えられています。

永福寺は頼朝公が鎌倉に建立した三大社寺(鶴岡八幡宮・勝長寿院・永福寺)の1つに数えられる大規模な寺院です。頼朝公は度々この寺に参詣したようで、実朝公はここを遊覧の地として、毎春のごとく梅見、桜狩りに訪れ歌会や歌合わせの会場としたりしていました。

この永福寺は文治5年に行った奥州征伐の際、合戦で亡くなった多くの将兵の鎮魂を願った頼朝公が平泉の二階大堂、大長寿院にならって建立を立願したものであり、建久2年山水相応する霊地としてここに工事を始めました。近国の御家人からは人夫を召集して池を掘り、そして設計指導には京都より作庭の専門家、静玄を召して当たらせました。

汀に石を埋め沼石や形石などは、あの畠山重忠が運んだものです。「吾妻鏡」によって当時の境内の様子を窺い知る事が出来ますが、そこには中心の伽藍となる二階大堂・阿弥陀堂・薬師堂の他にも釣殿・多宝塔・鐘楼などのいくつもの堂宇が軒を連ねていました。

池を前にそして山を背にした殿堂は鎌倉武士等にきっと極楽浄土の荘厳さを感じさせたにちがいありません。幕府の御願寺として手厚く保護された永福寺ですが、残念なことに応永12年の火災で焼失してから後は再建の記録を見ることが出来なくなってしまいました。

しかし、この広大な永福寺跡を眼前にたたずむと、あの平泉のそしてこの永福寺の壮大で優美な伽藍が、そしてひたすら神仏を思い造営に力をそそがれた頼朝公の姿が瞼に浮かんでやむことがありません。

もどる
上へ 次へ
Copyright(c)2002,TheTsurugaoka hachimangu Shrine.All rights reserved.